(長文です。この日のことを忘れないための忘備録。)
その日、その時、私は成田空港の第一ターミナル4F、出発ロビーでチェックインのラインに並んでいました。
母親と一緒に、弟のいるワシントンDCに向かうために。。。
母を送りに来ていた父親も一緒でした。
14:46
ぐらぐらと来たとき、「あー地震だー」くらいしか思わなかったんだけど。
だんだん大きくなってきて、まわりの人が外に向かって逃げ出したので、私たちも一旦外へ移動。
しばらくすると落ち着いたので、「怖いねー、大きかったねー」と話しながら、
携帯で地震速報を見ながら、中に入り、再びチェックインのラインに並ぶ。。。
まもなく第二弾の大きな地震。館内放送は特になし。
地上係員の人たちが、「荷物は置いたままでいいので、外に出てください」というので、
私のスーツケースと弟に持ってくるように頼まれていた大きな絵を、
チェックインカウンター前に置きっぱなしで外へ。
(母親は30分前にすでにチェックインを済ませていたので、荷物なし。)
かなり揺れたけど、特に上から物が落ちてきたり、倒れたり、というのはなかったので、
そのまますぐに中に戻れて、普通にチェックインできて出国できるものだと思ってました。
しかし。。。それからしばらく中には入れてもらえませんでした。
1Fの駐車場までぐるっとブリッジ上になっている道を使っていくようにとの指示。
これも放送ではなく、警備員さんみたいな人が言っているだけ。
とりあえず指示に従い1F駐車場へ。
そのうちすぐに中に入れるだろうと思いつつ、状況が分からないまま、立ち尽くすこと2時間。
いい加減寒くなってきた・・・。
17時過ぎ。
第一ターミナル1Fのみ入ることが許される。
やっと放送が少し入るようになったけれど、「館内点検のため、1F以外は入れません」という内容のみ。
しかも英語放送しないし。。。
外人さんたちは不安だっただろうなぁ。
18時すぎ。
ANAの国内便はすべてキャンセルと放送。
国際線については言っていないので、まだこの時点では期待。
遅れてでも飛ばすだろうと。。。
何時間も立っているのは辛いので、そのうち床に座る。
しばらくすると、床に敷くようにとダンボールをくれた。
水も配布され、リッツクラッカーも配られ、寝袋もGET。

21時過ぎ。
「本日の全てのフライトはキャンセルです」とのアナウンス。
翌日の便に変更できれば、チェックインしてしまった母親の荷物と、
4Fに置いてきてしまった私の荷物を戻してもらって、
一旦茨城の実家に戻ってまた出直そうとか思っていたのだけれど。。。
この日は地上係員も何の情報も持たず、何も分からない状態。
荷物がその日に戻ってくる気配もなく、翌日のフライトの振り替えなども手続きはできない状態。
ダメだ。
これはどうにもならない。
父親は、空港内の駐車場に停めていた車で、TVを見て、事態の深刻さを確認。
父親だけ茨城に帰るのも、帰るときに海岸近くを通るのに津波が危険ということで、断念。
当然、空港から出る電車等はすべて動いていなかったため、そのまま空港に泊まる人多数。。。
22時ごろ。
やっと1F以外の他のフロアも開放。
だけど、私が荷物を置きっぱなしにしてしまった、南ウィングの4Fだけは、
安全確認ができていなくて危険だからと、入れてもらえない。
みんな散らばったので、多少1Fに余裕ができる。
私はiPhoneのバッテリーがすでに落ちてしまったので、コンセントを探しに別のフロアをさまよい、
見つけたところで充電したり、大型テレビで津波のすごい映像見たりして、12時過ぎまでフラフラ。

午前1時。
父親も空港内をさまよい、やっぱり4F、5Fのほうが暖かいし、スペースもあるし
(周りの人にいびきに左右されずに寝れそうだし)ってことで、4Fの飲食店エリアに移動。
父親は、目立たない5F奥のローソンが開いていることを発見。
さっそくビールとから揚げくんと、翌朝分のパンとかを買ってきてくれた。
私が12時くらいにその店の前通ったときはCLOSEだったのに。よくタイミングよく見つけたなぁ。
リッツのクラッカーしか食べてなかったので、かなり嬉しかった。。。
もらったダンボールの上に寝袋を敷いて、床で寝たけれど、寝心地いいものでもないし、余震はあるし。。。
結局ほとんど寝られず。
そして朝に。。。
いつの間にか4Fの南ウィングも開放されていたので、ようやく自分の荷物を取りにいけた。
っていうか、さすが日本。
カウンター前あたりに、無造作にまとめて置いてある荷物。
誰も持っていく人いなかった!よかった!
さて。
この日はフライトの予約変更とチェックインしてしまった母親の荷物を取り出すことが使命。
土曜日の飛行機に変更できるなら、そのまま行ってしまおうということだったんだけど。。。
ANAのウェブから、United Airline (以下UA)の共同運航で予約してしまったのがまず間違いだった。
ANAの人は、機材がUAだから予約変更などの受付もすべてUAがすると言う。
そしてUAの人が昼の12:30にならないと来ないとのこと。
朝9時。
UAの予約電話の受付開始時間。
UAの職員が空港にいないため、フライトの振り替えは電話でするしかない。
9時になる30秒前にかけたけれど、すでに繋がらない状態。
何度かけても電話中、もしくは「おかけ直しください」の音声。
それでも、何度も何度も、100回以上粘ってかけ続け(チケットぴあ状態!)、
30分後に奇跡的に繋がった!
UAの電話受付の人は、意外にもとても親切だった。
私はANAで予約しているので、料金設定はANAの料金設定。
なので、本来は勝手に予約の変更をUAではできないとのこと。
でもANAはUAでしか手続きできないと、受け付けてくれないと説明したところ、
今回はこういう事態なので特別に対応しますと。
そして一番直近で取れる15日(火)のフライトを確保。
ただし、ANAに交渉したら、もう少し前のANAの機材が取れるかもしれないと助言もしてくれました。
このような状態なので、本来変更不可の格安航空券でも、変更はできるし、
キャンセルしても全額戻ってくるとのこと。
行く、行かないは状況を見て後で判断すればいいし。
とりあえず変わりの便を確保したことで一安心。
12時半。
ようやくUAのカウンター前にUAの地上職の人たちが現れる。
カウンター前にはUA便の変更を待つ人が長ーい列を作ってます。
みんな空港で一晩明かし、待ってたんですよ、誰か来るのを。
そしたら、12時半からカウンター前で係員の人たちが打ち合わせを始める。
ここで打ち合わせ?12時半っていうのは出勤時間だったってことね。
12時半から受付ってわけではないのね?
色々なことを聞きたい人でごったがえしているのに、
のんびりと笑いながら打ち合わせしている姿は、ちょっと呆れました。
うちはもうすでに変更手続きを電話でしてしまっていたので、
チェックインカウンターに並ぶ必要はなかったのですが、
とにかく母親がチェックインしてしまった荷物を救出しないと帰れません。
そういう人も他にいたと思うんだけど、その点に関しての指示は誰もしてくれません。
とりあえず係員に聞いて問い合わせてもらったところ、1FのBaggage Claimに行くようにとのこと。
帰国した人でもないのに、特別に逆行して税関を通りBaggage Claimに入り、UAのカウンターへ。
そこで荷物を待つこと、、、30分くらいかな?
数人、同じように待っていた人の荷物は返されていきます。
そして係員の人がこちらに来て、「お話があります。」と。。。
なによ~。どさくさに紛れて、どこにいったか分からないっていうの~?
すると、「実は、お客様の荷物は手違いでワシントンDCの空港に行ってしまいました」と。
????
頭が混乱。
どういうこと?
でも、昨日私たちが乗るはずだった便は、キャンセルになったんですよね?
地震後の便はすべてキャンセルになったと放送していましたが。。。
「実は、夜中に1便だけ飛んだんです。。。ランウェイがクリアになったので。
出国手続きを終えていた人たちを乗せて、飛んだんです。
それに、手違いで荷物が乗せられたまま行ってしまったんです。」
まぁ、確かに私はチェックインもしていなかったし、地震後は出発ロビー立ち入り禁止だったので、
夜中に出国手続きもできないから、飛びますなんてアナウンスはするわけないけどね。
それにしても、飛んだなんて。
今から戻しても、混乱しているので何日かかるか分からないとのこと。。。
私たちも火曜日に行くかもしれないということで、ひとまず荷物はワシントンにホールドしておくことに。
父親に言ったら、沖縄発言を謝罪に来たアメリカの事務次官がそれに乗って帰ったんじゃないか?と。。。
要人がいたから、飛ばしたんじゃないかと憶測を言ってましたが。
後で調べたところ、謝罪にきていた方は、前日にモンゴルに行ってましたので、違いますね。
15時。
母親の荷物は帰ってこないので、ひとまずここで茨城の実家に帰ることに。
実家の隣の人に様子を聞いてみると、電気も水もないとのこと。
母親は旅行前、父親も月曜から海外出張の予定だったため、家に食べ物はほとんどない。。。
ということで成田で水やら食べ物を買い込み、ライフラインのない茨城へ3人で車で帰ることにしました。
(続きは茨城編へ)
この2日間で学んだこと。
共同運航便は予約してはならない。
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